奇跡なんて、起きない。 フィギュアスケートマガジン取材記2015-2019
08/08/2020 07:57:54, 本, 山口真一
によって 山口真一
3.7 5つ星のうち 70 人の読者
ファイルサイズ : 18.19 MB
内容紹介 編集記者として、 羽生結弦選手を追い続けてきた 山口真一記者による 『フィギュアスケートマガジン取材記』。 フィギュアスケートの取材経験ゼロだった記者が、 試行錯誤しながらこの専門誌をどう育てていったのか-- 羽生結弦選手とファンから学び 誌面を作り上げていった奮闘の日々を綴った一冊 第1章…業界最後発からのスタート。 【2015国別対抗戦2014-2015シーズンファイナル号】 「フィギュアスケートの取材ってどうすりゃいいの」 初めての現場取材で知った、フィギュアスケートの華やかさ 「場合によっては休刊」。マガジン最初の試練。 第2章…やるなら、徹底的にやる。 【2015NHK杯2015-2016グランプリスペシャル号】 長野・NHK杯で受けた「衝撃」。 会見を完全に再現すれば、珠玉のインタビューになる! 第3章…読者の代わりに会場へ。それが「マガジン」の役目。 【2016NHK杯2016-2017グランプリスペシャル号】 言葉だけでなく、彼のすべてを残そう。 仮想読者「美津代」の誕生。 ファンと雑誌も「伴走者」。 「羽生結弦とは」。トロントでジャーナリストと語り合ったこと。 冬の札幌で感じた、新時代の始まり。 第4章…聞こえてきた平昌への鼓動。 【2017ヘルシンキ世界選手権2016-2017シーズンファイナル号】 「旅は道連れ」。毛受カメラマンとの邂逅。 奇跡ではなく、必然だった逆転劇。 第5章…五輪V2へのカウントダウン。 【2017年8月2017-2018プレシーズン号】 YとM、初めて「聖なる場所」へ。 高まる期待と、まさかの事態。 「マガジン」として、できることは何なのか。 第6章…彼は叫び、世界は叫んだ。 【2018年2月平昌オリンピック男子特集号】 いざ平昌、「最初で最後」の五輪取材へ。 仁川空港ロビーがパニック!羽生、ついに姿を見せる。 羽生が口にしたファンへの感謝。 1位発進のSP。それでも彼は冷静だった。 2大会連続優勝。奇跡に限りなく近い「必然」。 メダルから一夜明けの笑顔に見た「変化」。 マガジン最大のピンチ。発売日に間に合わない 第7章…まだ見ぬ場所へ、新しい旅に出よう。 【2019年3月世界選手権特集号】 一緒に走ってきたファンとのお別れ。 「好きで続けたなら、それをやめてどうすんの」 意外な展開。「マガジン」をもう一度。 羽生結弦に見た「変化」と「不変」。 旅に出なければ、わからないことがある。 フィギュアスケート・マガジン 創刊~2019年9月発売号全表紙 おわりに 【著者より】 「経験も知識もない『最後発』フィギュアスケート誌の 創刊から現在までを凝縮した取材記がここに。 大切な意味を持つあの大会の「完全収録」再録と合わせ、 プレス席とプレスルーム周辺で起こった出来事を綴りました。 恥をかき、ズッコケながらつくり続けた「マガジン」の歴史を 冬の一日、リラックスした気持ちでお楽しみください」 山口 真一やまぐち・しんいち (フィギュアスケートマガジン・プロデューサー) 1967年3月29日生まれ。埼玉県出身。 大阪芸術大学アイスホッケー部でセンターフォワードとしてプレー。 新聞社運動記者、フリーライターを経てベースボール・マガジン社に入社。 2015年から「フィギュアスケート・マガジン」の編集記者となり、18年3月に退社。 現在はアイスホッケー『東京ブルーナイツ』を運営する アイススポーツジャパン代表を務める傍ら、 再び「フィギュアスケート・マガジン」、 「アイスホッケー・マガジン」の編集に携わる。 内容(「BOOK」データベースより) 取材経験ゼロの記者が、世界王者とファンから学んだものとは。 商品の説明をすべて表示する
以下は、奇跡なんて、起きない。 フィギュアスケートマガジン取材記2015-2019に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
著者の山口真一氏は、スポーツを扱うベースボール・マガジン社の編集企画部の一員で、2014年11月、年明けに新しい雑誌を出してほしいと言われ、時期的にフィギュアスケートしかないということで、フィギュアに関して全く無知だったにもかかわらず、フィギュアの雑誌を出すことにした。「フィギュアスケート・マガジン」はそのようにして誕生した。まず、他の部員2人とフィギュアスケート雑誌を片っ端から買って読み漁り、それまでのベースボール・マガジン社の本と比べて、文章が少ないなと感じ、マガジン社らしい本にすればよいとの方向性を決めた。最初の取材は他の部員にまかせ、山口氏が初めて会場で公式戦を見たのは、2015年4月の国別対抗戦。そこで初めて羽生結弦選手の滑りを見た。そして次のシーズンのNHK杯で、山口氏は羽生選手の演技に衝撃を受ける。SP、フリー共に歴代最高得点を出し、スタンドのファンは「ありがとう、ありがとう」と泣いていた。羽生結弦の演技は、人を泣かせ、叫ばせる力を持っている。そして、囲み取材、公式会見で羽生選手が発した言葉に、「なんと純度が高く、嘘がないのだろう」と感激する。口にした言葉のすべてに彼の責任感が宿っていた。羽生選手の単独取材は無理だが、それでも、彼ほど豊かな語彙と表現力で、自分と自分の演技について語れる選手なら、会見の言葉をつなぎ合わせていけば、演技の背景にあるものが見えてくるのではないか、と感じた。大会本部からプレスパスを発行してもらっている記者は、普通の人は入れない会見場やバックヤードに行くことができる。ならば、読者の代わりに、そこで見たこと、経験したことをすべて伝えていこうと思った。そして、羽生の会見での模様をすべて網羅する「完全収録」スタイルが確立したのである。更に彼の言葉だけでなく、会場入りから公式練習、演技の様子を含めたすべてを記録して記事にした。すると、徐々に読者からの反応が編集部にダイレクトに寄せられるようになった。フィギュアスケートのファンは、過去に担当してきたどの競技のファンとも似ていない。反応がダイレクトなのである。記事の表記に間違いがあった時、多くの手紙が届くが、それを読んで暗い気持ちになったことがない。手紙の多くは、何がどう間違っていたのか、これによりどんな影響があるのか、そして最後は編集部のみなさん頑張ってください、期待していますという言葉で締めくくられ、「よし、頑張ろう」という気持ちになれるのだ。五輪シーズンの大阪でのNHK杯。山口氏は、羽生選手がケガで欠場した時のファンの姿が忘れられないという。頑張っている人を応援する、無償の愛。それは何らかの形で報われるべきだし、報われなければならない。3ヵ月後、平昌五輪の会場に現れた羽生は公式練習後の記者会見で、ファンへの感謝の気持ちを述べた。それを聞いて、山口氏は「よかった」と心から思った。羽生が不在だったNHK杯の会場に来ていた人、そして静かに「この時」を待ち、祈っていた人も、この羽生の言葉で報われたはずだ。羽生結弦の「SEIMEI」は彼だけのものではない。羽生結弦を支える人、羽生のために祈った人、すべての思いが込められた「SEINEI」になったのである。この時、山口氏は、羽生結弦がこの五輪でどんな成績であっても、マガジンは羽生を中心に本をつくっていこうと決めたという。そして、フリーの演技が終わった時、山口氏はミックスゾーン(会見の場)へ走らないといけないのに、通路で立ったまま動けなかったという。今、自分が見ていたのは何だったのか。フィギュアスケートか。それとも、それを超える「何か」か。氷の上で吠えているあの男はフィギュアスケーターか。それとも、それを超えた何者なのか。平昌五輪の前年、2017年のヘルシンキ世界選手権で、SP5位からフリーで世界記録を更新して逆転した時、「奇跡の優勝」と報じられたことに違和感を覚えた山口氏は、8月のトロント公開練習で、羽生に直接聞いてみた。「奇跡も何も、そういう練習をしていたので、自分の中では。失敗だって、ノーミスだって、すべてが偶然を含んでいると思うし、必然も含んでいると思います。それはやっぱり練習によって、どういう風な練習をしてきたとか、そこまでのコンディションづくりとか、もっといえば精神状態とか、環境とか、そういうものが色々含まれていると思うんです。それによって偶然というものが起こるし、必然的なものが出てきたりする。でも、その必然の中でどれだけクリーンなジャンプを増やすかというのは、一番は自分の練習で作り上げられるものだと思うんですよ」。すべての事象は日常の積み重ねの延長で、奇跡なんてものは存在しない。羽生結弦は自らのスケートを通じて、それを教えてくれた。一方で、こうも思う。「これって奇跡なんじゃないか」。そう思える場面に立ち会う瞬間こそ、人生における幸せではないか、と山口氏は述べている。羽生選手の凄さを改めて感じさせてくれた。また平昌五輪の期間中、組織委員会が発行する取材が許されるチケットを手に入れるため、連日プレスセンターに通わねばならず、そのために費やした時間が多く、帰国後、発売日に間に合わないかもしれないピンチに見舞われ、3日間ほとんど寝ないでひたすらキーボ-ドを叩き続け、何とか間に合わせた話など、編集者の体験談も興味深かった。
0コメント