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中央線がなかったら 見えてくる東京の古層

08/13/2020 14:48:17, , 陣内 秀信

によって 陣内 秀信
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ファイルサイズ : 26 MB
内容紹介 東京・中央線沿いの街々(中野、高円寺、阿佐ヶ谷、国分寺・府中、日野)を、古地図や地形図を片手に歩く。近代の産物である中央線を視界から取り去ってみると、武蔵野、多摩地域の原構造がくっきり浮かびあがり、眠っている古代、中世の要素が見えてくる。東京の隠れた魅力を発見する、新しい東京論へのアプローチ。 内容(「BOOK」データベースより) 『東京の空間人類学』の陣内秀信と、郊外論の第一人者三浦展が組む、新たな東京論。近代の産物である「中央線」を視界から取り去ると、武蔵野・多摩地域の原構造がくっきりと浮かびあがる。古地図を手に、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、国分寺・府中、日野を歩く。地形、水、古道、神社、商店街などがチェックポイント。中央線沿線の地形がわかるカラーマップも掲載。楽しくて深い、新・東京の空間人類学。 著者について 陣内秀信(じんない・ひでのぶ) 1947年生まれ。法政大学デザイン工学部建築学科教授。 著書に『東京の空間人類学』(ちくま学芸文庫・サントリー学芸賞受賞)、『イタリアの街角から』(弦書房)などがある。 三浦展(みうら・あつし) 1958年生まれ。マーケティング・アナリスト、消費社会研究家。 著書に『下流社会』(光文社新書)、『三低主義』(共著・NTT出版)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 陣内/秀信 1947年生まれ。法政大学デザイン工学部教授(建築史)・中央区立郷土天文館館長。イタリアを中心に地中海世界の都市研究・調査を行い、また、江戸東京学の牽引者である。『東京の空間人類学』(1985年)でサントリー学芸賞を受賞 三浦/展 1958年生まれ。社会デザイン研究者。カルチャースタディーズ研究所代表。家族、若者、消費、都市、郊外などを研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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2012年初版。杉並生まれの杉並育ちだったから、良く知っているつもりであったが、実は何も知らなかった。知ってはいても自分の足で歩いていないからだ。通学のバスの中から見た風景は歩いて感じる景色と違う。自転車でも未だ違う。私の祖父祖母も大正の関東大震災で深川より引っ越して来た。町内の人達の言葉は農家の人を除いては“江戸弁”であったし、気風も“江戸っ子”であったから祭りは華やかだった。大きな家では菜園があり、鶏を飼っていた。原っぱだらけの町はいつも普請をしている処があり、人が引っ越して来る前の家は子供の屋根付きの遊び場であった。大工さん達も神経を使う仕事をしている時以外はそんなに文句は言わなかった。床下に潜り込み、床の未だ張っていない押入れから飛び出したりしていたから、他人の家の間取りも良く知っていた。戦後も家が増えている中で私は育ったが、周りに新しい家々や友達が増えるのは楽しかった。それでも田畑も林も自然はいっぱいで、そして町の奥には牛屋さんと呼ばれる牧場も何軒かあった。牛乳屋さんが出来るまでは牛屋さんに牛乳を買いに行った。容器は確か硝子の一升瓶であったが、牛屋さんは牛乳をあの長細い金属製の牛乳容器、今でもたまにインテリアの雑誌などで見かける容器、に入れていた。その後も何回かヒトと家の波が押し寄せ、周りに家が出来(後から考えれば爆発的に人口が増えて行ったのであろう)、原っぱがどんどん無くなっていった。何回目かの波でアパートと言う、当時としては画期的な建物が出来て社宅になり、町には新しいタイプの、インテリっぽい人達が引っ越して来た。家風呂がないから銭湯が其処ここにあり、大変な盛況振りであった。市場は地図本には出て来ないが、いくつも新しい市場が出来、夕方には物凄い混雑で活況を呈していた。氷の冷蔵庫が無い普通の家は毎日、毎食の様に買い物に出かけていったが、買い物にも相当なエネルギーが必要であった。年に二回の福引は商店街にとっても、消費者にとっても大イベントであった。道は、地図を見ただけでは分らない。道の幅に騙される。古くから人の通った道は幅が以外と狭いものだ。私の生家の前の細い道は1925年発行の地図にもしっかり載っている。舗装される前は大八車のすれ違いは難しい幅で遭ったし、現在も車は一方通行である。昔の玉川上水の堤の上の道であったから、田畑や林だらけの杉並のランドマークでもあったに違いない。歩いてみると改めて気付く事が沢山ある。川は現在は暗渠となり遊歩道化してしまったところも多い。戦後の人の心が落ち着いていない生活では、川は生ゴミや不用品の捨て場となった時期もあったから、暗渠化しても反って町が綺麗になった様に感じたが、蚊と一緒に蛍も魚も子供達の内緒の遊び場もなくなってしまった。100%の自然ではなかったが、失われて初めて気付くものだ。記憶にあっても普段は再生されない光景がこの本の様に昔の写真を見せられると、一挙に押し寄せて来る。町も家風呂がないから銭湯が其処ここにあった。その名残は別の建物となって残って居る処もある。育った町の大きな商店や家々は現在の地図ではXXコーポ、○○マンションとその家の苗字が付けられた集合住宅になっている。三浦朱門氏の『武蔵野ものがたり』をこの本の前に読んだが、私より更に前の時代の三多摩地方の若者の生活が生き生きと描かれ、土地は地図だけでは分らない事が良く分る。小説や人が残して呉れたヒトの住んでいた証しを知る事で土地全体に対する感情が変って来る。本書を読んだら、古地図を何枚か遡ってネットで見ながら今の地図と見比べて欲しい。直線化した道も川も確かに便利にはなったが、それはそれでメリットのあることは分るが、不自然な形態になった。しかし、本当の意味で水の流れを人間が変える事は出来ない。今でも川の蛇行していたところは土壌も違うし、伏流水や地下水が秘かに滲み込み地下を流れているかも知れない。そう言う意味では東京に家を買う時は第一次土壌調査が絶対必要だ、と思う。せめて古地図で元はどんな土地であったか、確認して欲しい。今私が住んでいる近くには最近開発された小奇麗な戸建て住宅が多いが、景色も日当たりも良いが暴れ川に沿って並んでいる。本書を読んで、私なりの散策をしたくなり、早速石神井川の下流域を河口方面、と言っても隅田川の合流地点まで歩いてみた。土地の事情に詳しい人に話を聞くと、石神井川は蛇行の好きな川だったらしい。蛇行してはアチコチで氾濫を繰り返し、流れが変わった処は三日月湖になっていた。石神井川にある釣堀公園もそうした三日月湖の一つだった、との事。途中何箇所かあった、雰囲気の良いXX緑道もそう言う三日月湖だったのかも知れない。

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