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自己啓発をやめて哲学をはじめよう

09/23/2020 03:45:41, , 酒井穣

によって 酒井穣
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内容紹介 ◆衰退する日本社会に自己啓発が罠を仕掛ける!? 人工知能の台頭、働き方の変化、少子高齢化など、 とくに若い人たちは絶望へ向かう社会の中で、 今の状況をのんびり眺めていられなくなりました。 日本が迎えている状況は、 ローマ文明、漢文明、メソポタミア文明など 高度に発達した豊かさにもかかわらず滅んでしまった文明と よく似た道をたどっていると言えるからです。 こうした世の中にはびこるのが自己啓発ビジネスです。 かつて『三国志』の時代にもオカルトが流行し、 魏国の曹操はこれを規制した時代もありました。 人の不安や恐れに入り込むのが、 こうした自己啓発ビジネスです。 特に二極化する貧富の差により、 自己啓発ビジネスは、貧困におびえる人の心の隙間を利用し、 自己啓発のカモにしていきます。 しかし、自己啓発にはまってしまった人が すべて成功できるかというと、それは言うに及ばず、 むしろ家族や友人の関係を破壊しかねません。 (もちろん人生が豊かになる人もいますが、 そこには科学的根拠はありません) そもそも自己啓発ビジネスは、 自尊心が満たされていない人をターゲットにしているため、 コミュニティーの中で、それが満たされる仕組みを作り上げます。 そうして囲い込まれた人たちは、お金を失うだけで、 儲かるのは自己啓発ビジネス側だけというのが仕組みです。 ◆答えをあなたの外側に求めることが哲学 自己啓発と哲学の決定的な違いは、 その答えを自分の内側に求めるか、 自分の外側に求めるかということです。 自分の内側に答えを求めるというのは、 努力すれば成功できる、自分の可能性を信じるというもので、 それを信じれば信じるほど、 薄っぺらな自己啓発ビジネスの罠にはまってしまいます。 いっぽう哲学は、自分の内側にひそんでいる可能性を あきらめることから出発します。 言い換えれば、自分への執着を捨て去ることの必要性を 説いた学問なのです。 その姿勢は、世の中の絶望と向き合い、 外側の世界に見えるわずかな真実とともに生きることです。 本書は、自己啓発を捨てて哲学に生きることを提唱しています。 ソクラテス、プロタゴラス、デカルト、 ヒューム、カント、サルトルら哲学者が考えてきた哲学にそって、 哲学が自己啓発を否定する流れを解説していきます。 「自分こそが正しい」という、 人間に不幸をもたらすであろう絶望から、 その興味を自分の外側に向けていく哲学にこそ、 私たちが救われる道が見いだされ、 そこに救済の可能性があるのです。 内容(「BOOK」データベースより) 自分の可能性を信じれば信じるほど、自己啓発の罠にはまってしまう。ビジネスから社会学・生物学、神・意識の存在など多角的視点で哲学を考察する一冊。 商品の説明をすべて表示する
自己啓発をやめて哲学をはじめようを読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
劣等感がある自分の境遇、環境をあきらめてそれでも誰かに貢献しながら1日1日を生きると決めているときはどこが充実している自分がいて、地に足をつけて生きているという実感です。本書でいう哲学的な生き方と感じます。それとは逆に友人、知人の活躍を知り不安が大きくなると、途端に自己啓発色が強くなる自分。そこには達成可能なロジックがない目標を立てあせりが生まれ、また不安になり、目標を高く掲げるという心理学用語でいう昇華という防衛機制をしていたと振り返りました。昇華の状態になっているときは、より自己責任感が強くなる傾向が私にはあり、それが私自身を苦しめていたと感じました。2通りの生き方をしてきた私にとって選びたい生き方は前者の方で、それが著書でいうところの哲学な姿勢ならばこの本は私にとってバイブルになることでしょう。この本には、コラムに社会的弱者として生きることは自己責任ではないと書かれており私自身の心の救済にもなりそうです。余談ですが、私はよく夫婦喧嘩をします。妻の話に自己責任論を投げかけると、「話を聞いて同調してくれるだけでいいのに」という部分がいつもの争点です。私は自己啓発色が強くなるときほど、自分に投げかけるように妻にも自己責任論を説いてしまっていたのだと思います。著書の中の「自分は変えられない」という言葉は、自分に責任があり自分は変えられると強く信じてきた私にとってコペルニクス的転回な衝撃的なものでした。私は妻の環境や生い立ちなどを無視して発言してしまったいたのかもしれません。夫婦の仲をよくするにもこの本は私のバイブルになるかもしれません。

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